代理出産をめぐる問題について,日本学術会議は「法規制により原則禁止すべき」との報告書をまとめました.
学術会議の結論は,代理出産を法律で禁止し,さらに営利目的の場合は医師,斡旋した者,依頼者を処罰する(代理母は処罰しない)というものです.そして,向井亜紀さんのときに大きな問題となった母子関係についても,従前の取扱いを踏襲し「出産した人を母とする」というものです.
生命倫理の観点では,確かに国民世論が定まっていないという指摘は確かだと思います.「他の女性を出産の手段として用いるもの」とする批判もありますし,最悪の場合は母体死亡のリスクもあること,引渡し・引取り拒否があった場合にどうするのかといった議論もあります.
このような批判や議論に応えていくことは重要なことでしょう.しかし,代理母を依頼してでも遺伝上のつながりがある子を望む人がいて,実費や最小限の謝礼程度(国によって範囲は異なる)は受け取るものの,誰に強制されるでもなく助け合いの精神で代理母になることに名乗りをあげる人がいて,そしてその意思を実現する医療者がいることを,どのような根拠で規制できるのだろうかと感じます.
もちろん,代理出産や生殖補助医療全般などを否定することは自由です.自分たちが不妊の当事者になった場合に,自らの倫理観や価値観に基づいて立ち止まることは自由です.
しかし,自分の考えに基づき「自分が行わない」ということと,「他人が行うことを非難すること」,さらにいえば「他人が行う自由を否定すること」は,全く別のものです.
代理出産が禁止されることは,「代理出産によって子を望む自由」,「自らの意思で代理母になる自由」のいずれをも否定し,道を閉ざすことを意 味します.一方,容認されることとなれば,代理出産という手段を選ぶも選ばないも自由になるということです.当然のことですが,代理出産を消極に考える人は自分でその道を選ばなければよいだけの話です.(臓器移植を容認することで臓器提供や臓器移植術を受けることが強制されるわけではないことと似たような構図で す.)
法律で何かを禁止しようということは,本来自由である行為を一定の目的をもって禁止するということです.誰が何を行っても自由なのが原則のところ,他者の権利を侵害する行為や,公益を著しく害する行為などについて,最小限の範囲で規制できるということです.法規制は多くの場合刑罰を伴って行われるのですから,規制にはそれを禁止するだけの十分な根拠が求められるのであって,「望ましくない」といった程度の理由で禁止できるようなものではありません.たとえその行為が倫理的に望ましくないと多くの人が考えるようなことであったとしても,単にそれだけでは禁止などすべきではないのです.
「代理出産は,他人を危険にさらすことだ」という主張もあると思います.確かにそれを完全には否定できませんが,代理母を引き受けることは誰にも強制されず,あくまでも本人の意思ですし,家族の理解もなければ現実的には難しいでしょう.法律はリスクを承知で自分の意思で行うことを規制しないのが原則です.災害の復興支援にはボランティアの人たちが活躍していますし,労災の多い職種に就くことも本人の自由です.何より生体肝移植や腎移植のドナーになることだって自由なのです.代理母がリスクの説明をきちんと理解したうえで引き受けようとしている以上,代理母への危険を理由に禁止すべきとはいえないのだと思います.
そして,依頼者にまで刑罰を科するということも,現実的とは思えません.学術会議の報告書では,医師,斡旋者に加え,なんと依頼者を処罰の対象として想定しているのです.依頼者は代理母の心身を搾取する加害者であるという発想なのでしょう(代理母を処罰の対象から除いているのはそのような理由).しかし,依頼者を加害者,代理母を被害者とする構図で考えることは,私にはできませんし,そもそも依頼者を処罰するということは,新生児の親を処罰するということです.
また,現状では代理出産はほとんどが海外で行われており,現地では適法な行為のはずです.この場合に依頼者を処罰するには国外犯規定が必要になりますが,現地で適法,しかも国民感情として受け入れているというような状態で,帰国した依頼者を国外犯規定でもって処罰するとしたら,あまりにもおかしな話ではないかと思います.さらにいえば,向井亜紀さんのように事実を公表して出生届を出した場合は別として,ほとんどは役所に黙って実子として届けられていることも,私たちは事実として受け止めなければなりません.見方次第で,水面下で横行しているとも,当事者のやむにやまれぬ選択ともいえるのでしょうが,私は後者を重く見ます.
もう1つの大きな論点として,依頼者と子の親子関係をどうするかという問題があります.現状では「出産した人が母」の扱いが定着しており,代理出産のように母子間に遺伝上のつながりがなくても同じ扱いを受けています.しかし,父親は最終的には遺伝上の父を父にできるのですから(妻が出生した子の父は夫と推定されるが,当事者が嫡出否認や親子関係不存在の訴えを起こすことによって覆すことが可能),代理出産が技術的には確立している以上,父親と同様の考え(出産した人を母親と推定するが,当事者の訴えにより遺伝上の母を母とすることができるようにする)により定めることは何ら問題がないと考えます.なにしろ,男性不妊を理由に第三者から提供を受けた精子により妊娠した場合(非配偶者間人工授精)でも,「妻が出産した子の父は妻の夫と推定」され,夫婦の実子にできるくらいなのですから,遺伝上の父母が代理出産により生まれた子を実子とすることに,何の問題もありません.
子の福祉の観点からも,遺伝上も父母であり,出生の結果を強く希望しており,当然扶養の意思を持っている依頼者夫婦を実親とするほうが望ましいことも,いうまでもありません.
「実際に出産した人が必ず母親」という取扱いは代理出産が現実的に行われている現状では明らかに不自然ですし,また,その取扱いが代理出産を依頼する側にも引き受ける側にも強い抑制の効果を生ぜしめていることも問題です.これもまさに「戸籍が1つの価値観を強制する」典型的な例といえるでしょうし,「子どもが人質」といっても過言ではないことも問題でしょう.
代理出産を禁止することは,いろいろな点で合理的でないように思います.原則自由(当事者の意思を最大限尊重し,国はそれを止めない)としたうえ,それを極力妨げない方向,具体的には,親子関係の規定,子の引取りや引渡しの拒否への対応,代理母に危険が生じた場合や事故の場合の救済をどのように図るかなどを考えていくほかないように思います.
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