結果は極めて重大でした.その償いは,一生をもってしても終わることがありません.しかし,刑罰という形での責任は,懲役7年6か月という判断でした.
福岡市で2006年8月発生した,飲酒運転による衝突での海中転落による3人死亡事故の判決は,危険運転致死罪の成立を否定し,業務上過失致死傷罪及び道交法違反(酒気帯び運転)の併合罪の上限である懲役7年6か月でした.(なお,現在の法律であれば,業過致死傷罪が自動車運転過失致死傷(最高刑は懲役7年)となり,ひき逃げの厳罰化(同10年)が行われていることから,ひき逃げと自動車運転過失致死傷の併合罪(最も重い罪の1.5倍)により最高刑は15年になっているのではないかと思われます.)
裁判員制度の導入を前に,「なぜ裁判所が危険運転致死罪の適用を否定したのか」という点を切り口に,私たちも一度考えてみる必要がありそうです.裁判員制度のもとでは,危険運転致死傷罪で起訴された事件も裁判員による裁判の対象となるからです.
この判決については,(1)裁判所が危険運転致死傷罪の成立を否定したこと (2)危険運転致死傷罪の立証が難しすぎること (3)危険運転致死傷罪のハードルが高すぎること (4)結果に対して量刑(法定刑)が軽いこと について,疑問に感じている人が多いように思います.
確かに飲酒の上の運転であり(ただし判決は主原因をわき見と認定),その結果として3人の死亡という結果を引き起こしたことは,非常に重大なことです.しかし,元々が本来的に過失犯である事故について,特に悪質な一部の類型を故意犯に準じて扱うことにするのが危険運転致死傷罪ですから,特に悪質な行為を限定するのは当然といえば当然です.また,いかに情状がよくなくても,刑罰の適用は行為が条文に触れるかどうかで判断するのですから,酩酊運転が立証されなかった以上,危険運転致死罪の成立を否定したのは,法に照らした結果として適切だったと思われます.危険運転致死傷罪の立証が難しいことはたびたび指摘されますが,危険運転致死罪の構成要件が「酩酊状態」である以上,罪に問うにはそれを立証するほかありません.ただ,酩酊運転は蛇行や異常行動が目撃されていることも多い上,さらに同席者や飲食店での証言等の徹底した捜査により,立証が難しいとまではいえないのではないかと思います.
今回の事件の争点は,被告人の行為が危険運転致死罪の「酩酊」の類型に当たるのかが問題になっていたのでした.
危険運転致死傷罪は刑法では「傷害」の章に分類されており,業過致死傷罪が「過失傷害」の章にあるのと異なり,故意犯のひとつの類型として扱われています.危険運転致死傷罪の刑罰は業過致死傷罪よりも傷害罪や傷害致死罪に近く,危険運転を「怪我をさせる目的を持った(故意の)暴力」と同様の責めに値すると位置付けているのです.飲酒運転は危険な行為ですが,事故を起こす目的を持って運転したわけではなく,故意の暴力と同列に扱うことには本来的には難しいと考えられます.このようなことからも,危険運転とされる類型は通常の過失犯と比べて特に悪質かつ危険なものでなければならず,実際にも,(1)酩酊運転 (2)制御困難な暴走 (3)制御技能のない運転 (4)妨害目的の割り込み・幅寄せ+危険な速度 (5)赤信号殊更無視+危険な速度 という,非常に限られた類型に限定しています.(それぞれ,飲酒運転,速度違反,無免許,割り込み,信号無視とは異なる点に注意してください.)
それでは,危険運転致死傷罪が適用されうる酩酊運転とは,飲酒運転の中でどの程度のものなのでしょうか.道交法では「酒気帯び運転」「酒酔い運転」を規定しており,刑罰の対象となるのは,それぞれ,「呼気1リットルにつき0.15mg以上のアルコールを保有する状態(血液基準は略)」,「アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態」と定められています.酒酔いについては法文上の基準ではないのでしょうが,警察の取締りでは「歩行検査や言動などから判断する」となっているはずで,要するに直進ができなかったり,ろれつが回らない状態などをいうとされていたと思います.これに対して,危険運転致死傷罪では,「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態」と規定しています.つまり,酒酔い運転の場合の「おそれがある」状態を上回り,「困難な状態」が現実になっている必要があるということです.酒酔い運転で検挙されるほどであっても危険運転になるとは限らないのですから,危険運転とされる飲酒運転は悪質極まりない泥酔状態のことであって,この類型が「酩酊運転」と呼ばれる理由はここにあります.
今回の事件では,事故の48分後に行った飲酒検知において,被告人の呼気から0.25mg/lのアルコールが検出されています.0.25mg/lとは最近の改正前の酒気帯びの処罰基準と同じ(現在は0.15mg/l)であって,事故後の経過時間及び飲酒検知までの間に0.5ないし1リットルの水を飲んだことを差し引いても,酩酊運転には達していなかった可能性が十分にあった(さらに言えば,酩酊運転ではなかったのではないか)といえます.酩酊運転ではなかった可能性が相当程度認められる以上,酩酊運転の可能性を理由に処罰することは許されないのですから,危険運転致死罪については無罪とし,業過致死傷罪を適用したことについては,妥当な判決だったということになるのでしょう.
危険運転致死傷罪のハードルの高さを「酩酊」とすることについては,確かに批判もあるのではないかと思います.私もこの点については疑問がないわけではありません.ただ,ハードルを下げることは即ち「故意犯に準じて扱う例外の範囲」を広げることを意味し,故意の暴力と同様の刑罰に値する範囲はやはり相当程度限定されるべきですし,引き下げたら引き下げたで他の法令違反行為に起因する事故との整合をどう捉えるかという議論も生じると考えられ,難しい点も多いのかもしれません.
テレビのニュースでは,東名飲酒事故で死亡した幼児の母親がインタビューに対して「時代の流れに逆行する,飲酒運転に寛容な判決」と述べていました.しかし,裁判所が飲酒運転にどのような立場を示すかは,適用される罰条の選択(被告人の行為がどの条文に触れるかの判断)ではなく,量刑での評価に反映されるべきものです.今回の判決は適用されうる法律が定める最高刑を言い渡したのであり,およそ寛容な判決どころか,法が定める限りの非常に厳しい判決だったといえるのです.
そうはいっても,被害者の処罰感情や国民の世論と判決(法定刑)が釣り合っていないことも,また確かであり,このギャップは誰にとっても望ましくないのではないでしょうか.
確かに,事故の結果と判決のギャップが大きいと感じることは自然だと思いますし,私も3人の命と7年6月の懲役は全く釣り合っていないと思います.そして,家族を失ったことに故意も過失もなく,喪失感も加害者に対する憤りも計り知れないものだろうと理解できます.しかし,刑罰は結果よりもむしろ行為を評価して科されるものですし,近代では刑罰の目的は犯罪の抑止や再犯の防止(矯正教育)といった点におかれ,結果に対する応報は主目的ではないことも考える必要があります.今回の事故では,いくら結果が重大であっても,やはり故意に基づく暴力と同様の刑罰をもって臨むわけにもいかないのではないでしょうか.
なお,法定刑については法改正による厳罰化が行われていること(事故後に施行された改正で自動車運転過失致死傷罪の創設およびひき逃げの刑の上限の拡大により相当程度厳罰化が行われた=前述=)があまり理解されていないことも問題だと思いますし,交通事故に対する厳罰化は「来るところまで来てしまっている」ともいえる状況であることから,全般的な法体系についても(国民に説明できる立場にある人が)もっと説明していく必要があるでしょう.裁判員制度の導入が来年に控えられているのですから,なおさらです.
私は,ここに刑罰というものの限界を感じます.被告人の行為およびその結果は,一生をもってしても償いきれるものではありません.しかし,どんな事件でもそうですが,刑罰は責任の一面にすぎず,期間にかかわらず刑罰を受けることで償うことができるのは罪のごく一部であるということです.特に刑事責任の重さと結果に開きが生じる過失犯については,なおのことそのように考えられます.
判決が今後どのような形で確定するにせよ,本当の償いは身柄の拘束を解かれ,誰の強制でもなく行うことで始まると考えることもでき,刑務所ではそれを見据えた十分な矯正教育が期待されるのではないかと思います.対被害者の観点においても,刑罰という形での処分に限界があることに鑑み,続発する事故の予防(被害者にとって,同様の事故が続くことの無念はいかばかりでしょうか)に力点がおかれる必要があります.飲酒運転で検挙された人を調査したところ,3分の1超がアルコール依存症であったという調査結果もあるそうで(1月9日 NHK「スタジオパークからこんにちは」内「暮らしの中のニュース解説」=番組の一部しか見ていないので認識が不十分な可能性あり=),最初の酒気帯び等での検挙を今よりも重く捉え,免停処分が執行されている間に医師の受診を義務付けたり,アルコール依存症と診断された人には断酒のプログラムに参加させるなど,刑罰以前の問題として何らかの形で事故を抑えこむ手段を実行に移さなければなりません.
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