「私の視点,私の感覚,私の言葉で参加します.」をキャッチフレーズに,裁判員制度が2009年(平成21年)から開始されることになっています.裁判員制度では,重大な刑事事件(殺人や人のいる建物への放火などが代表的な例ですが,「故意の犯罪行為により人を死亡させた事件」も含まれるので,傷害致死や危険運転致死なども含まれます)の第一審(地裁での審理)において,現行の3人の職業裁判官に加えて6人の裁判員による合議体による裁判を行うものです.
裁判員制度の導入の背景には,刑事裁判に時間がかかるとされること(裁判の迅速化),起訴から判決に至るまでの過程の難解さ(裁判のわかりやすさ),国民感情との乖離(国民感覚の反映)があるとされています.
確かに刑事裁判の中には1審の判決が出るまでに何年も費やす事件もあり,また,責任能力や情状(成育過程など)が争点になった場合などは,裁判は非常に難解な応酬が続きます.そして,最近は判決がずいぶん厳しくなっているように感じますが,「国民の一般的な感情とかけ離れている.」といわれることも多く,このような点を変えていくために司法制度改革の目玉として裁判員制度が導入されることになったのでしょう.
●「迅速な裁判」の意義
まず,最初に述べなければならないのは,「迅速な裁判」は,被告人の憲法上の権利とされていることです.特に無罪を主張する被告人,まして勾留されている場合などは,被告人という非常に不安定かつ不利益な立場が長く続くことは望ましくなく,迅速に法的地位を確定させてほしいという権利が保障されなければなりません.確かに被害者にとって裁判が長引くことはつらいこともありますが,裁判の迅速化はあくまでも被告人の権利保障が大前提で,逆に被告人が十分な審理を求めているものを「迅速化」することは,被告人の十分な防御を妨げるおそれがあり,許されないのだと思います.(確かに裁判迅速化法では迅速な裁判が社会全体の要請であり法益であるように規定していますが,あくまでも当事者の正当な権利の保障が大前提です.)
では,日本の刑事裁判は本当に時間がかかるのでしょうか.この点については,「一部の事件を除き,非常に迅速に行われている.」ということができると思います.(もっとも,否認事件などで保釈がなかなか行われないといった問題などは指摘されています.)
最高裁がまとめた資料(2006年)によれば,裁判員制度の対象となる重大な事件でさえ,43%は3回以内の公判で判決が言い渡されています.事件の多くは自白事件で,事実関係は争わず情状が争点という事件が多いのだと思います.公判が3回で終わるのは自白事件でしょうが,初公判と次の公判で結審し,3回目には判決言渡しということですので,ほとんどの事件は非常に迅速に終わっているということができます.逆に公判が10回を超えるような事件は1割に達しません.
つまり,争点が明白な事件は今でも非常に迅速に処理されており,時間がかかっている事件は多くの問題点を掘り下げて審理しているのであって,無駄に時間をかけているというわけではないということです.被告人には自己に有利な主張を尽くさせるべきで,その権利の行使をもって訴訟の遅延というのは強引にすぎます.仮に弁護人が訴訟の遅延を図ろうとしても,裁判所の訴訟指揮権によりことごとく斥けられています.「迅速化のための迅速化」は,被告人の権利を損なうおそれがあり,慎重にならなければなりません.
●裁判の多面的な機能
刑事裁判の第一義的な役割は,罪を犯したと疑われる人が真犯人であるかを判断し,真犯人であればどの程度の量刑がふさわしいかを公正に決めることです.
ただ,実際にはそれだけにとどまらず,事件がどのようにして起こったのか(なぜ被告人がそのような罪を犯すに至ったのか)を解明し,社会に対し問題点を開示し改善を働きかけることや,裁判の過程で被告人に被害者の感情や罪深さを自覚させるような機能を果たしています.
前者は,裁判の過程で(主として被告人の情状に関する弁護人の主張において)例えば被告人の成育過程についての主張がなされることで,被告人がなぜ罪を犯すに至ったのかという背景を解き明かし,それを社会全体が受け止めることで,社会が有する問題点を改め,ひいては刑罰の威嚇と異なる角度から犯罪を抑止するというような機能です.
後者は,裁判の過程で主として検察官の立証において被害者の供述調書が読み上げられたり,現在では被害者が直接法廷で意見を述べるような機会をもって,被告人に被害者の感情を自覚させるようなことですが,被告人の中には時間をかけて繰り返し働きかけをすることによらなければ,自分の行為の罪深さを理解できない者も多くいます.これは刑が確定後に刑務所で行うことも可能といえば可能かもしれませんが,裁判の過程でこうした自覚を持たせ,言い渡された刑を納得するような形で受刑してもらう(言い方は変なのですが)ことで,反省・贖罪の気持ちを自ら持たせ,少しでも被害者や社会が理解できる形で更生してもらうということも,非常に重要なことです.このことは,社会復帰を前提にする刑罰においては社会防衛の見地からも重要です.
刑事裁判のこのような機能は,時間を十分にかけた丁寧な審理,場合によっては公判の間で証人や鑑定人を請求して立証をさせるなどの審理過程など,刑を決めるというだけであれば必ずしも重要な争点とはいえない部分についても双方の主張を一つ一つ検討して判決文にまとめるような公判のあり方(時として「精密司法」といわれることがあります)によって実現されてきたものですが,裁判員制度と「精密司法」はなじまないため,結果としてこうした機能をばっさり切り捨てることになりかねないのではないかと思われます.
●「精密司法」と相容れない裁判員制度
裁判員制度では,裁判員を民間から抽せんで集めてくる必要上,概ね1週間以内の連日開廷による集中審理で,判決の言渡しまで行うという制度になるようです.そのために,事前に裁判所・検察官・弁護人の3者が争点を整理し,審理計画を立てる方式(公判前整理手続)が既に導入され,審理期間の短縮が図られています.
今までの刑事裁判は,公判と公判の間が概ね1ヶ月ほどで,場合によりそれを短縮しながら迅速な裁判を行う形で行われてきました.この方式を「歯科治療方式」という人もいるらしく,これが裁判に時間がかかる要因と感じる向きもありますが,裁判の争点によっては,検察側の立証を切り崩すための証拠や証人を集めるために時間がかかる場合もありますし,主張の内容を充実させるためにはそれなりの期間が必要であることも確かです.この時間は決して空費されているわけではないと考えることもできます.(もっとも,公判前整理手続では立証計画も打ち合わせるため,その際に反論すべき事項も予想できる,という反論があるかもしれません.)
現在の裁判で公判前整理手続が実施された事件では,集中審理,休廷,集中審理,休廷,判決,といった形で断続的に集中審理を行い,最後に判決を言い渡す形が取られているようです.それにより,集中審理のデメリットを極力抑える配慮がなされているともいえます.
しかし,裁判員制度のもとでは裁判員が判決言渡しまで立ち会うとされており,その場合,最終日に評議が終わり次第裁判官とともに判決を言渡し,任務を終了するということもありえます.
判決書(判決文)は裁判官が作成することになっていますが,今までの判決文は,特に重大な事件のものでは相当な分量に及ぶことが多く,その中では事件の詳細な事実認定,被害者の供述および成育歴,処罰感情,被告人の成育歴など犯行に至った経緯など,非常に様々なことが記載されています.これらは被告人だけでなく社会に対して向けられたメッセージであるとともに,被害者には事件および裁判所の判断についてを事細かに説明する,非常に貴重な書面であるといえます.実際,重大な事件では判決の言渡しが数時間に及ぶことも珍しくありません.
裁判員制度のもとでは,制度的にもこのような「大作」の判決文を書くことは難しくなる(可能であるとすれば,初公判の前に,公判前整理手続で得た心証をもとに裁判官が下書きを用意しておく(!!)くらいしかない?)ため,まさに判決文として必要最小限のこと(とさえ言えるのかどうか...)しか書かれなくなってしまうのではと危惧します.あらかじめ争点を絞り込んでしまい,それについて是か非か程度しか判断しないとすれば,これまでわが国が培ってきた「精密司法」の対極に位置する粗雑な判決になってしまい,誰の心にも働きかけるものがなくなってしまうのではないでしょうか.
●裁判員裁判の行方
ここまで,裁判員制度の問題点をいくつか指摘してきましたが,私が提起した論点はあまり一般的(多くの人が語らない)論点かもしれません.一般的には,「忙しいのに.」といった意見や,「素人が被告人を裁けるのだろうか.」といった意見が多いのではないでしょうか.仕事を休まなければいけないという問題はともかく,市民から選ばれた裁判員が裁判に関与すること自体は,そうおかしなことではないと思います.国民の司法参加の制度には既に検察審査会があり,検察官が不起訴にした事件について被害者の申立てを受けて11人(全員国民選出)の審査員の審理により「不起訴不当」ないし「起訴相当」の議決ができることになっています.
裁判員制度の導入を前に模擬裁判を行うと,概ね,「事実認定は厳格に(疑わしきは被告人の利益に,の原則が貫かれやすく),量刑は厳しく」という結果が出ているとされています.模擬裁判に参加する人は自ら裁判員制度に関心を持って応募した人でしょうから,抽選で無作為に選ばれる裁判員とは異なりますが,この傾向は確かに国民が一般的に感じていることに近いといえるかもしれません.
もちろん,量刑の判断は一概に厳罰化が望ましいわけでもなく,今の量刑が決して軽いということもないと思います.また,量刑を考えるときは被害者や社会の処罰感情だけでは不十分で,被告人の更生や社会復帰への影響(一般に刑期が長くなると社会復帰も困難になり,結果として再犯の可能性を高めてしまうといった問題点もあります)など,いくつもの視点から総合的に判断する必要も求められます.同種の事件においても,裁判員によって量刑が大きく異なるという事態も不公平であり,こうした点については裁判官が裁判員に十分な説明を行うなど,裁判員時代の訴訟指揮が求められていくことになるのでしょう.最終的に裁判官と裁判員の判断が乖離したとしても,被告人に不利な判断を行うには裁判官の意見が1人以上含まれていなければいけないという一定の歯止めはあります.(例:裁判員が全員一致で有罪としても,裁判官全員が無罪の結論であれば無罪となる.量刑についても,裁判員全員が死刑としても,裁判官が無期懲役・有期刑・有期刑であれば無期懲役となる.)このような制度がうまく機能すれば,「国民の司法参加」そのものの価値は一概に否定できないということもできると思います.
しかし,過度な迅速化による精密司法の崩壊や,裁判の多面的機能の喪失など,裁判員制度には利点よりも問題点のほうが多いのではないかと感じます.そのため,裁判員制度は今からでもやめたほうがいいのではないかと思います.
●裁判員制度が機能するとすれば
仮に,裁判員制度が「被告人が裁判員による裁判を選ぶ権利」として位置付けられるとすれば,話は変わってくるかもしれません.否認事件のうち,特に自白の任意性が争われる事件などは,今でも裁判所の認定が「極めて検察寄り」と批判されることがあります.例えば痴漢えん罪のような重罪といえない事件でも,このような問題はたびたび生じています.また,政党のチラシ配りによる建造物侵入事件のような,国民の一般的な感覚では処罰に値しないと考えるだろう事件について有罪の判断が出ることさえあります.このような場合に,裁判官による裁判では自分の権利が守られないとして,被告人が裁判員による裁判を求める権利として位置付けるのであれば,裁判の1つのあり方としてはありえるように思います.
しかし,裁判員制度は一定以上の重大な事件について必ず実施されることになっており,被告人の権利という位置付けにはなっていません.裁判員制度により被告人の権利(慎重かつ丁寧な裁判を受ける権利)が損なわれる危険性については,やはり懸念せざるを得ません.
コメント