「スタジオパークからこんにちは」がまた中断,「番組の途中ですがニュースです」になったと思ったら,久間章生防衛大臣が辞任したというニュースでした.(前回は松岡農水大臣が自殺したニュースのときで,その日は結局スタジオパークに戻りませんでした.)
ご承知のとおり,「原爆を落とされて」・・・「しょうがない」というような発言に端を発した騒ぎでした.
毎度毎度の失言報道ですが,久間大臣(前職になってしまいましたが)の発言を「原爆容認」と要約すれば,間違いなく「とんでもなく不適切な発言」ということになるのでしょうが,人の言葉を解釈するときは,まず前後や中間の部分も含めてその人が本当に言いたいことを判断し,そしてできるだけ善解を試みることが重要です.
久間大臣は1940年生まれで長崎県出身ですから,私たちが軽々しく論じられないほどに原爆の恐ろしさを身をもって承知しているはずで,まさか原爆を容認するような考えは持っていないだろうと思われます.発言の趣旨は,要するに「米国が戦争を終結させるために原爆を使ったことを,やりすぎだとも思うが,戦争という状況でもあり,(米国に)今さら文句を言ってもしかたがない」というようなことなのだと思います.重要なのは,大臣は今の核の話をしたのではなく,当時のことを今どう思うかについて述べたのだということです.
忌まわしい核兵器が使われてはならないことや,国際的に核廃絶の動きを広げていかなければならないことは当然のことです.しかし,そのことと当時の米国の行為をどう考えるかは,同じに扱うことはできません.
米国がわが国に原爆を投下したことは,「他に手段はなかったのだろうか」と思いますし,正当化できる理由はどこにもありません.しかし,もはや文句をいえるようなもの(米国に謝罪や補償を求められるようなもの)だとも思いません.物事は二者択一ではありませんから,「非難しないこと」が「容認」であるとは限りません.新聞で読む限り,私には大臣の発言が「容認」とも「正当化」とも全く読めませんでした.
原爆についてさらにいえば,あれほど忌まわしい兵器を使わせてしまった狂気,それが戦争というものなのだろうか,と思うほかありません.人が作ったものの中で,戦争ほど痛みと悲しみをもたらすものはなく,戦争だけは繰り返してはいけないということを,私たちはこれからも訴えていかなければなりません.
確かに,久間大臣の発言は取り方次第では被爆者への配慮を欠く表現があった(もっとも,これは報道の要約のしかたで真意が伝わらなかったきらいもあるのではないか)と思います.しかし,大臣の真意を考えれば辞任にまで追い込むほどのことなのかとも思うのです.大臣はイラク戦争を支持しないことや「米国が大量破壊兵器の存在を信じて開戦したことは間違いだった」と述べるなど,米国の暴走とわが国の盲従に批判的な立場を取っています.後任の小池百合子氏がどのような考えかは知りませんが,このようなことを率直に発言してきた久間大臣を辞任に追い込んでしまったことのマイナスは少なくないと思います.
コメント